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{{提示 |标题=未完成 |内容=本页面的“字幕”部分暂未完全完成而且仍有改进的地方。 }} {{信息 |标题=我的美好人生 |文件=VC-29.jpg |描述=我的美好人生 Part1的VHS发售版封面 |1=名称 |T1=すばらしきわが人生 |2=制作方 |T2=[[SHINANO企画]] |3=发售日期 |T3=1992年2月1日 |4=价格 |T4=1900円 |5=官方编号 |T5=VC-29 |6=登场人物 |T6=[[岸本加世子]]、[[山本琳达]]、[[雪村泉]] }} '''我的美好人生'''(日语:'''すばらしきわが人生'''),通称'''我的美好人生 Part1。'''副标题为'''“[[岸本加世子]]・[[山本琳达|山本リンダ]]・[[雪村泉|雪村いづみ]]語る信仰の歓び”'''。它是[[我的美好人生系列]]的第一集,共三小节。 ==简介== 《我的美好人生part1》是由[[创价学会]]授权,[[SHINANO企画]]制作的访谈类传教影片。全篇完整版共三节,是以[[岸本加世子]]、[[山本琳达]]、[[雪村泉]]的入信契机为主要叙事内容制作而成的叙事向传教影片,每个人物的故事约6分钟,共计20分钟。 [[岸本加世子]]篇重点讲述了岸本母的事迹,以她为线索展开叙述了加世子与母亲的入信经过,克服困难迎难而上的事迹。体现了其人生哲学精神和积极向上的乐观人生态度。 [[山本琳达]]篇则侧重于以事业方面的成功为出发点,讲述琳达与所识同伴一起解决困难,走向更好的未来的故事。 [[雪村泉]]篇则是家庭和事业方面的双结合,以雪村泉遭遇人生的低谷期时从美国得知创价学会([[逆输入信心]])后重拾自信,迎来人生第二次事业高峰的故事。 2011年,[[SHINANO企画]]宣布终止制作VHS录像带,该作随之停止发售。 ==名句== {| class="wikitable" |+ !时间 !人物 !原句 !中文翻译 |- |00:22 |旁白 |创価ルネサンスの年。笑颜と希望に溢れ、新たな年が开幕しました。 池田先生の下には喜びに満ちた创価の友が集い合い、芸术部のメンバーも心温まる激励を受けました。 |创价复兴的那年。充满希望的笑颜、新的一年开幕了。 在池田老师的招募下集结了充满喜悦的创价友人,艺术部的成员也受到了温心的鼓励。 |- | | | | |- | | | | |} ==素材== === 视频 === {{#widget:视频 |url=https://vip.123pan.cn/1826204916/8773275 |width=auto |height=auto }} === 音频 === {{#widget:音频 |url=https://vip.123pan.cn/1826204916/8773328 }} ==台词== {{提示 |标题=台词播放时间 |内容=台词章节内的标注的时间仅对于页面内素材源,可能并不与其它画质或其它版本的这一素材匹配。 }} <div class="mini-block"> {{折叠 |数=1 |展开='''+ 日文字幕''' |收回='''- 日文字幕''' |内容= (ナレーター:創価ルネサンスの年。笑顔と希望に溢れ、新たな年が開幕しました。池田先生の下には喜びに満ちた創価の友が集い合い、芸術部のメンバーも心温まる激励を受けました。) <big>'''岸本加世子'''</big> (ナレーター:ドラマやCMで大活跃の岸本加世子さん。独特のキャラクターを持つ彼女はお茶の间の人気者です。そんな彼女も创価学会の女子部员として学会活动に励んでいます。) “家庭访问とかも入れるんですか?” 岸本“家庭访问はねぇ…年明けてから一绪に、行ってもらったほうがいいかな…” 母が昭和32年に静冈で入信できまして、で、私が昭和35年の终わりに产まれたんですけど、あのーそのときに母が骨盘を损伤してる障害者なもんですから、私が、あのー产まれるときに、あのーすごく一生悬命题目をあげてくdくれて。で、医者が“无理だ”って言ったんですけど、普通分娩で、あのー未熟児だったんですけど产んでくれて、よく母が题目を真剣に上げてる背中を见て、そいで、育ったんですよねー。 “…じゃないww”“违うくないよwもう一回ね”“あのね体力がついたら”(一同爆笑) (ナレーター:学会二世として元気に活动する岸本さん。しかし、かつては学会活动から远のきかけたこともありました。) 15歳で芸能界に飞び込んだときには、あの寮の生活だったんですプロダクションの。で、もちろんご本尊様ないし、まったくもう谁ひとり知らない芸能界にポツンと入ったもんですから。で、母が芸能界に入ることは反対はしなかったんですけれど“先生とご本尊様だけはどんなところにいても忘れちゃいけない”って。それをね母がもう再三、私に手纸や电话で、そのことしか言わないんですよ。でうるさいなぁw思って。それがすっごく烦わしかったんですけど、で、一时反発してて、信心してなくたって成功してる人はいっぱいいるし、当时私はもう、谁も信用してなかったですし、自分一人で顽张っていくんだって。自分さえやる気があれば、自分さえ努力すれば、必ず芸能界で成功するんだっていう思いがあったんですね。 で、そんな时に、二十歳になって芸能界入って5年目のときに、あのー、池田先生にお目にかかることができまして、先生との出会いがなかったら、きっと自分の中のつまらない、あのー…こう理屈でね…ただ理想だけを追いかけてて、こう、自灭しちゃったと思うんですけど、先生にお目にかかってから、ほんとにあの学会の素晴らしさとか、こう素直に、なれるようになりまして。ほんとに信心自分が始めたのは先生にお目にかかったあの日から私は信心できるようになったんだなっていう、いう思いでいます。 岸本“本部の别馆において、あの代表メンバーの…” (ナレーター:地域では女子部の副本部长として后辈の育成に心を配る岸本さん。いつも明るく爽やかな姿は、女子部から善きお姊さんとして、また善き相谈相手として慕われています。) 岸本“一番新しい‘ある日ある时’を顶戴しまして…” 母が突然脳溢血で倒れまして、で、お医者さんに“あと三日の命です”って言われたんですね。あと三日で死ぬっていう现実が目の前に立ちふさがったときに、もう気がついたらベッドの下で、病院で、ずっと题目を上げてたんですね。だからあの时にほんとに力ある信仰がなかったら、ただ、もう、こう、狼狈し现実を受け止められないままに母を失ってたんだなって(スー)、思いがすごくするんですけど、あの时はほんとに先生と(スー)ご本尊しかなかったですね。 で、母がもうとにかく三日の命だって言われたんですけれども、あのー、命を取り留めまして、で、でも障害者っていう身体の上に、さらに脳溢血によって半身不随になってしまったんですけれども、でも母が“もう一回歩きたい”っていう风に、すごくあの顽张りまして、で、リハビリがすごく辛かったみたいでね。その一番辛いときに、先生が激励してくださり、“先生が见てくれてるから顽张ろう!”って思えて、母はなんていうかその负けじ魂で“绝対に歩いてみせる”って。で、すっごい顽张って、病院の中を折伏して歩いたんですね。 そしたらほんとに歩いて、杖一本で歩いて退院することができたんですね。现実に打ち胜つことができたのは、やっぱりその人生の师によって、がいなかったらやっぱり分かんなかったでしょうね。信心って言うのはほんとにすごいなって。叶わないことはないんだなって。母は病気に胜ち、自分に胜ったんですね。だから信心って言うのは、自分自身に胜つことなんだなっていうことを、母に教わりました。 (题目の大合唱) (ナレーター:その后、7年も寿命を永らえて、福运辉く感谢?の人生を送った母、幸子さん。今は亡き母の强き公布への思いを胸に抱きしめて、今日も岸本さんは明るく创価の道を歩みます。) “バンザーイ!!” <big>'''山本リンダ'''</big> 「(♪どうにもとまらない@紅白歌合戦)'''うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁおおおおおぅぅぅぅ!!!!やぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!ウォホォォォォォォ!!!!'''噂を信じちゃいけないよ♪」 (ナレーター:浮き沈みの激しい芸能界。その中でリンダさんはひたすら自分を信じて、こつこつと歌い続けてきたのです。そして今やリンダブームを生んでいます。) ま、自分にしてみればブームという言葉が当てはまるのかな?どうなのかな?っていう風に思ってるんですけれども、ブームって言ってみたとしても、あまりそれには左右されてないというか。 とにかくこれは私の長い人生のうちの一つの出来事であって、またこの芸能界って言うのはとにかく厳しいところなので、今年よかったから来年がいいとか、ね、来年いいからまたその次いいとか決まっていませんので。もう1回1回が戦いだなって。 やはりご本尊に、あの、小学生のときから巡り会ってね、祈ってきたその福運の結果としてね、あのー、一つ一つこういう大好きな仕事を続けさせていただいているなってこと思いますのでね。 戦いでもありますけどまた、それを私の喜びとしながら、あのー頑張らせていただけるってことほんとに功徳だなって、幸せだなって思ってます。 (ナレーター:仕事の合間に少しでも時間があれば┏(^o^)┓聖教新聞や池田先生のスピーチを読むリンダさん。リンダさんのエネルギーはここから湧いてくるのかもしれません。) 創価学会ってすごいなって思うのは、目の前のちっちゃなことで悩んでた自分とか、ちっちゃな目標だけで必死になってた自分が、もっともっと大きな、ほんとに人のことを思っていける自分になっていくし、そういう自分を感じたときがすごく嬉しいんです。あ、人のことを一生懸命こうやって悩んで上げられてる自分なんだって、思えたとき嬉しいし、友人が一緒になってその悩みを乗り越えてくれて、で、「ありがとう」と応援してくれて、それが私の励みになって。役に立てたな、嬉しいなって思えますし、そういう積み重ねだって思うんです。 学会員ってみんなそうなんですよね。だから世間の週刊誌やなんかで、三流の週刊誌やなんかで書かれている学会じゃない。だから長続きするし、そしてどんどんどんどん広がっていくし、やっぱり人間は誰もバカじゃなくて、どんなバカだと思われる人だとしても、真実ってやっぱり見抜いていきますし、感じていきますし。どんな人がどんな作文をもってね、人々を騙そうとして、インチキのですね記事を書いたり、あのー噂を…「噂を信じちゃいけないよ」って言いますけど、変な噂をね流したとしても、真実はみんな見抜いていきますから。 事実じゃないことを言われたときは「なにくそ!真実を見せてやろうじゃないか!」って底力が湧いてきますしね。それが私たち創価学会員の、やっぱり一番のあのいいとこだなって思っているんですよね。 (ナレーター:学会の正しさは信仰者としての自らの振る舞いにあると、リンダさんは全力投球で仕事に臨みます。) 武道館で芸術祭って言うのが昭和43年の11月にあったんです。そのときに先生が、あのヤング☆パワーっていうグループを作ってくださったんですけれど、あのー「焦らないでねじっくりと福運を積んでいくことだよ」ってあの話があったんです。私たちヤング☆パワーに。で、私は、「あ、そうだ」やっぱりどうしても焦っちゃうんですよねー、芸能界のお仕事は大変…焦っちゃうんですよ「そうか、焦らないでじっくりと福運を積んでいくことなんだな」と思いました。 それからもう一つ先生が言われてることに、あの「いっくら芸が素晴らしくても名声があっても、どんないいものを持っていようが、」あのー「人間として本当にその人が幸せになっていかなきゃいけない」。有名であればあるほど、芸術が素晴らしいほど逆に不幸になってる人って多いと思うんです。そういう中でほんとに信心をしているってことは、自分の芸も磨いていけるし、福運も積んでいけるし、そして人間としても成長していけるし、またいい友人本当にいい仲間をね作っていくことができる。 自分には何にもなくても、'''クオ☆クォンツォ'''(このご本尊)を知っていれば、この創価学会を知っていれば、悩んでる友達に最高の、その友達本人が自分の力で希望を見出してね、人生を勝っていくそういう切欠を教えてってあげることができる。これはすごいなって、最高の宝だなって、そう思います。 (ナレーター:さらに自分を磨いて新境地を拓いていきたいと、リンダさんは新しいリサイタルのレッスンに余念がありません。人々に生きる歓びをもたらす、心にしみる歌声をこれからも聞かせてくれることでしょう。) <big>'''雪村いづみ'''</big> (ナレーター:家族に囲まれ団欒のひと時を過ごす雪村いづみさん。美空ひばりさんや、江利チエミさんとともに三人娘として映画にステージにと大活躍を続けてきました。その雪村さんが創価学会と出会ったのは自由の天地アメリカだったのです。) 子供「'''しばたけ'''」 私がまだデビューして間もない頃、お手伝いをしてくださってた方が信心をしてらっしゃったんですね。それでとても折伏を受けてたんです。でもそれこそデビューしたてで人気の絶頂で若いし、「'''宗教なんていらないわ(笑う'''」っていう感じでしたもんですから、もう全然、理由はなくあのー10年ぐらい反対してました。 それでそのうちに何か色んなことがうまくいかなくなって、ものすごく膨大な借金背負ってることが分かったり、色んな意味で最低になっちゃったときに、アメリカへ、まぁ逃げるように家族で行っちゃったんですね。 それでそこで、アメリカ人のテレビのプロデューサーに「'''Do you know 南無妙法蓮華経?'''」って言われたんです! '''ェェエエ'''ビックリしちゃって!!「'''まあ!'''アメリカにも創価学会があるんだ!」って思って、ビックリしました。 楽屋でアメリカの、あの創価学会のメンバーに「一生懸命ねイヅミサン信心しましょうすr素晴らしいんですからしましょうよイヅミサン本当に幸せになれるんですからしましょうよ」って言われて。そのみんなの顔を見てると、ほんっとに明るくって、優しくって、いsssっ所懸命なのよね。 それでね、まー、こんな世知辛い世の中に、こんだけ人の幸せとかね、「イヅミサン幸せになってほしいんですよやりましょうよー」ってねほんとに真剣に人のことをね、思ってくれる人がいるんだなって、羨ましいなって思ったんです。 やっぱりみんなのその情熱と、一生懸命さと、純粋さに、☆押されて☆、「はい、じゃあ信心してみます」ってゆったんです。 そしたらみんながもうね、拍手してね、もうスクラム組んでね、私の周りでスクラム組んでね、なんか…歌ってくれましたよ!泣きながら!ほんとに。 だからあの時のアメリカのメンバーのしつこさがなかったら、今の私はほんとに無いっていうことと、この宗教は世界的になってるんだって思ったんですね。 だからあの今の創価学会も、世界のほうがすごくて(笑う、今に日本が一番遅れる(^Д^)っていう感じににゃんじゃにゃいかなってww 「私その代表でーす┗(^o^) '''逆輸入信心'''の代表です」 「…煩悩即菩提と説かれるように、」 (ナレーター:信心したあとも、雪村さんは様々な宿命に直面しました。それらを乗り越えることができたのは、剛情な信心と温かく見守る人生の師匠の存在でした。) あたしは、池田先生がいらっしゃるから、信心続けてこられたと思ってます。まぁご本尊様やっぱり根本ですし、御書根本ですけれども、ご本尊様は何にも言ってくれませんしww御書もなかなか難しいですけれどもwwww本当に先生の、いま先生が世界に向かってなさってること、世界中の信心してる人もしてない人も含めて、あんっだけ人を幸せにし、人に尊敬され、あんっだけの労働をしてる人は、世界広しといえども先生しかないですね。 (ナレーター:絵画も雪村さんにとって欠かせない世界です。昭和57年に二科展に入選して10年、創作活動を続けていく中で多くの友との出会いがありました。) もう皆さん私信心してることはあのご存知なんです。だからやっぱり気持ちのいいお友達のお付き合いをたくさん持っていきたいし、これからやっぱりほんとに、法華経は人の振る舞いって言われるから、自分が「あー、信心してる人って素晴らしいな」って言われるような自分になるように常にまいしゅんね、まいしゅん宿命転換しながら、人間革命しながら、一人でも多くの方にね、あのこの信心をお教えする役割を果たしていきたいって、それが私の生まれてきた本当の目的なんだって、やっぱり思います。 歌手は手段なんだって。そこらへんがねはっきり分かったときに、私の人生は変わりました。はい。 (ナレーター:歌手として画家として、そして学会の太陽、婦人部として。どこまでも自由闊達に人生を歩む雪村さん。その明るい姿は信仰による勝利の証といえるのではないでしょうか。) (ナレーター:創価ルネサンスの輝く新時代。限りない希望と勇気と歓喜に満ちた、すばらしきわが人生!今、新しい旅立ちのときが訪れているのです!) }} {{折叠 |数=2 |展开='''+ 中文字幕''' |收回='''- 中文字幕''' |内容= <small>(名言已特别标出)</small> <big>'''旁白'''</big> 00:21 - 创价复兴的那年。充满希望的笑颜、新的一年开幕了。 00:36 - 在池田老师的招募下集结了充满喜悦的创价友人,艺术部的成员也受到了温心的鼓励。 ===岸本加世子部分=== <big>'''旁白'''</big> 01:06 - '''在电视剧和CM非常活跃的岸本加世子小姐,拥有独特性格的她在茶道间十分有人气'''。同时她也作为创价学会女子部员进行着学会活动。 '''背景声音 - 女子''' <small>01:09 - 有做家庭访问什么的吗?</small> '''背景声音 - 岸本加世子''' <small>01:11 - 家庭访问啊……过年后再一起……去比较好吧……</small> <big>'''岸本加世子'''</big> 01:29 - 昭和32年,母亲在静冈时入信了,然后、我在昭和35年快结束的时候我出生了。那个时候母亲有骨盘损伤、我出生的时候她就非常拼命的把念经文<sup>(祈求一切顺利)</sup> 然后......医生说「没办法了」是普通分娩、还提前早产了。长大之后我就经常看着母亲很拼命地念经文,在这样的环境中,她将我抚养成人。 <big>'''众人 - 说笑'''</big> 02:09 - 不是(笑)!不是啦(笑)再来一回!那个、体力不支的话的话…… <big>'''旁白'''</big> 02:17 - 作为学会二世积极参加活动的岸本小姐,曾经有远离过学会的事情。 <big>'''岸本加世子'''</big> 02:30 - 15岁进入演艺圈的时候、那个宿舍的生活就是工作室。在没有御本尊的庇佑下到了一个谁都不认识的演艺圈。 不过母亲并没有反对我进入演艺圈,(她经常告诫我说)「不管去哪里都不能忘记老师和佛祖大人」,母亲再三在电话和信里只有说这件事。 然后觉得好烦呐,这么想。在很烦躁的环境下,一时就有了逆反心理。反正很多成功人士也都没有入信,那我干脆也啥都不想了,自己一个人加油好了。只要自己有干劲的话、自己努力的话肯定可以成功进入艺能界的。我这么想着。 <big>'''旁白'''</big> 04:12 - 之后、到了20岁进入艺能界已经第五年的时候 /* 剩余部分暂未处理完毕 */ 那个、见到了池田老师,'''<code>如果没有见到池田老师的话,肯定认为自己很无聊…这种理由…</code>'''只是去追逐理想、最后、自身灭亡这样想。 见到了池田老师后,真的那个才率直地了解到学会是多么好什么的。可以说我真的入信是见到了老师的那天才开始的。 旁白:关于本部的别馆方面、那个代表成员的…在部分地区作为女子部的副部长为后辈的成长而费心的岸本小姐。一直都是很阳光直爽的姿态,作为女子部善行的大姐姐,又作为善行的交谈对像被爱戴着。 「某天某时」…母亲突然得了脑溢血晕倒了。 然后....医生说「她还能活3天」 「还有三天母亲就会死」这样的现实在眼前出现的时候.....我突然注意到母亲现在医院生着病并念诵经文...... 所以那个时候真的没有信仰的话。或许只能这样.....狼狈的接受现实并失去母亲...... 我记得非常清楚、母亲那个时候好像身边真的只有池田老师和佛祖大人了。 之后、虽然说了母亲还有3天能活......那个,即使保住了性命但是病态的身体在加上脑溢血和半身遂....但是母亲好像是在说「我还想在走一次」,我看穿了她想要努力活下去的欲望。 复健看上去非常的痛苦。 在那非常痛苦的时光在、池田老师激励了母亲。我当时在旁边说「池田老师在看着你,好好加油!」 想到这里,母亲用那那决不认输的精神说「我绝对要走给你们看!」然后、非常努力地在医院里跌跌撞撞地走了起来。 之后就真的用走的、用一根拐杖走的成功出院。 能够战胜现实、果然是因为有能指引人生的老师呢,如果没有的话肯定会不知所措吧。 信仰真的是好棒啊。没有办不到的事情。母亲战胜了病魔、战胜了自己。 所以信仰、就是要战胜自己、被母亲这样教导了。 这之后、延长了7年的寿命。送走了母亲那幸福光辉的人生。 旁白:现在抱着去世母亲的坚强的遗念,今天岸本小姐也开朗地向创价之道走去。 众人:万岁~! <big>'''山本琳达'''</big> (琳达の演唱会时间) 呜哇啊啊啊啊啊啊啊啊噢噢噢噢! 呀呀呀呀呀呀! 呜呜噢噢噢噢噢!!! 歌词:谣言是不可以相信的哦 我依旧初心未变 无论何时都在做着欢快的梦 活着真是太好了 旁白:波折起伏的演艺圈,在这之中琳达小姐只相信自己,并持续不断地在唱歌。现在,“琳达热”依然还在持续着。 琳达:嘛、对自己来说能说潮流这个词合适吗怎么样呢?有这样想。即使说是潮流也不太会被引起关注吧,总之这是我长久人生的一件了不起的事。 而说到这个演艺圈总之是个很严格的地方,今年不错的话来年不知道会怎样。来年也很好的话、后年也不知道会怎样。 已经一次又一次经历过来了。至于御本尊、那个...在我是小学生的时候就和它有邂逅了。 作为祈祷的福运的结果呢......那个、就是能够一个接一个的持续做自己喜欢的工作。 虽然也有过艰辛的战斗,但能够乐意地、那个~能够去努力地去做真的是积了功德呐,好幸福啊这样想。 旁白:工作只要有一点闲暇时间就读圣教新闻和池田老师的演讲的琳达小姐。琳达小姐的能量也许就是从这里涌现出来的。 琳达:创价学会好厉害呐,真的是。眼前只要有一点小事就烦恼的自己,对完成一个小小的目标就已经很吃力的自己,想变成更大的、能为别人着想的自己....... 想到这样的自己就特别的开心。 啊、能为别人拼命地这样去烦恼的自己,想到这里会很开心、而且朋友一起去解决这个烦恼。 之后、说「谢谢」这样应援我、这样会成为对我的鼓舞。帮到忙了呐、也会觉得好开心呐这样想~我认为就是这样积累下来的,学会成员大家都是这样的。 所以学会不是那些世间的三流周刊杂志什么的写的那样,所以能够长久持续下去、而且会持续不断的扩大下去。 果然人们谁都不是笨蛋、即使是被认为是特别笨的人,也会看透真实、会跟着感觉走。 什么人就会写什么文章呢、欺骗人们、报导些伪造的东西。 那个谣言…虽然之前说过「谣言是不可以相信的哦」。不过即使流传奇怪的传言、也会被大家看穿的。 被说了不是事实的时候也会歇斯底里地说:「什么混蛋!让大家好好看清事实啊!」这就是我们创价学会会员的、果然第一的那个…优点呐。学会的正确性是作为信仰者自己的行为举止。 旁白:琳达小姐全力地投入工作。在武道馆召开芸术祭是昭和43年的11月。那个时候老师、创建了那个Young☆Power的团体 琳达:那个~我们在Young☆Power里老师说「不要着急、慢慢来积攒福运就好」 之后、我说「啊、对了」 果然不管怎么都会焦急呢、演艺圈的工作非常急的。这时想到了「不要着急、慢慢来积攒福运就好」。 之后老师还说过一句话,那个.....“即使表演的再好、人气再好、也不曾拥有过什么。” 那个~「作为人必须要让自己获得幸福才行」,我认为有些越是有名,越是有艺术的人反而越会遭遇不幸的人有很多。 在这之中真的入信了既能磨练自己、又能积攒福运。而且作为一个人来说还可以逐渐成长、又能交到很多朋友。即使自己什么也没有、'''<code>只要知道有佛祖大人<sup>(クオ☆クォンツォ)</sup>。</code>'''知道有这个创价学会,就是对烦恼的朋友的最棒的。用朋友本人自己的力量去寻找希望,教会了我获胜人生的契机..... 这真的好厉害呐、成为了我最棒的宝物,更加磨练自己想着开拓新天地。 旁白:琳达小姐对新的个人演唱会的练习毫无余念。给人们的生活带来欢乐深入心灵的歌声今后也能听得到吧。<br /> <br /> <big>'''雪村泉'''</big> 旁白:与家人一起过着像乐园生活的雪村小姐。和美空云雀小姐以及江利智惠美小姐三个人出演电影在舞台上大放光彩。 使雪村泉小姐和创价学会相遇的是自由天地-美国。 雪村泉:我还没有出道的时候帮过忙的一位先生入信了、之后呢那个… 说服了我很久但那个时候出道后很有人气也很年轻所以「'''<code>宗教什么的不需要哇</code>'''」这种感觉已经完全、毫无理由的反对了10年左右。 之后有很多事情都不是很顺利、背负着巨额债款...... 从各种意味上说,都可以说是混到了最差劲的地步。去了美国嘛,就像是逃跑一样。一家人都跑了的感觉...... 然后在那里被美国人的电视台经纪人问到了:「'''<code>Do you know 南无妙法莲华経?</code>'''」 '''<code>诶诶诶</code>''',好惊讶!! '''<code>嘛!</code>'''美国也有创价学会啊!这让我感到十分惊讶 在休息室时,一个美国的创价学会成员跟我说说:「拼命努力并去入信吧雪村泉小姐!这是个非常非常棒的宗教!你真的会得到幸福的!」 看着大家的脸庞、真的好开朗、好温柔、非常努力。之后呢、嘛在这艰苦的世上、有这么多为人为别人的幸福而考虑的人啊.... “很想让雪村小姐得到幸福的入信”,竟然还有这种很认真替别人的事情,不断为他人着想的人在、我认为是令人羡慕的。 果然被大家的热情、干劲、纯正所推动了。然后我说「好、那入信好了」。之后大家呢、为我拍手、互相挽臂围在我的周围大家围着我一边哭着一边为我唱歌哟、真的! 所以如果没有当时的美国的(创价分部)成员的执拗的话,就没有现在的我、我认为这个宗教是世界性的。所以现在的创价学会给我的感觉也是一个非常国际性的感觉。 现在日本入信最迟的一个www,我就是其中的代表、逆输入入信的代表。 旁白:入信了之后、雪村小姐又面对了各种各样的宿命。能跨越这些障碍的、是坚强的信心和温暖的守望。 雪村:被池田老师说了之后才继续深入的入信的嘛。佛祖大人是根本、佛书(日莲经)也是根本。 佛祖大人什么都不会说、佛书也相当难www老师真的、现在池田老师正朝着世界发展,包括全世界入信了和没有入信的人让那么多的人得到幸福、受到别人的尊敬做了那么多的劳动、全世界也只有老师一个人呢。 旁白:绘画对于雪村小姐也是不可欠缺的世界,昭和57年二科展入选10年持续创作活动的同时也认识了许多的朋友。 雪村:大家已经知道了我入信的事了。所以果然想要结实很多相处的好的朋友可以从现在开始了。 果然真的、《法华经》被称作是人的行为举止,为了成为“入信了的人”这样的人,我经常那个~每周呢、每周都一边宿命转换,一边人间革命。 即使一个人也好想让更多的人去相信创价学会。果然会想、这就是我出生的真正的目的吧......了解到歌手作为手段的时候、我的人生也彻底改变了。 旁白:创价复兴的辉煌新时代。充满无限的希望、勇气和欢喜。 我的美好人生!现在、到了新的旅途的开始。 }} {{折叠 |数=3 |展开='''+ 中日字幕对比''' |收回='''- 中日字幕对比''' |内容=未完工 }}</div> ==BGM== * 初めてのパラグライダーで彼に一目惚れ * どうにもとまらない * アコースティック・ワールド * 愛と感動のバラード [[分类:登场作品]][[分类:我的美好人生系列]]
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